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ピアノ協奏曲 (アレンスキー) : ミニ英和和英辞書
ピアノ協奏曲 (アレンスキー)[ぴあのきょうそうきょく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きょう]
  1. (n-suf,n-pref) cooperation 
協奏曲 : [きょうそうきょく]
 【名詞】 1. concerto 
奏曲 : [そうきょく]
 (n) (abbr) sonata
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ピアノ協奏曲 (アレンスキー) : ウィキペディア日本語版
ピアノ協奏曲 (アレンスキー)[ぴあのきょうそうきょく]

ピアノ協奏曲 ヘ短調 作品2は、アントン・アレンスキー1882年に作曲したピアノ協奏曲1883年ライプツィヒのラーター(Rahter)から出版されており〔、曲はチェリストカルル・ダヴィドフに献呈されている。
== 背景 ==
1861年ノヴゴロドで音楽的素養のある両親の下に生まれたアレンスキーは、早くから音楽の才能を示していた。9歳で既に作曲を行っていた彼は、1879年サンクトペテルブルク音楽院に入学し、在学中にこのピアノ協奏曲を作曲した。1882年に音楽院を卒業した彼は、「交響曲第1番 ニ短調」で作曲のゴールドメダルを獲得する。その後モスクワ音楽院対位法和声学の教授となり、教育者としてラフマニノフスクリャービングレチャニノフらを育てることになる。またアレンスキーはチャイコフスキーの知遇を得て、教職の傍ら作曲にも旺盛な意欲を見せていった〔。
ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフメトネルなど、続く同郷の作曲家がピアノによる音楽表現の拡大を行っていったのに対し、アレンスキーは因習的な態度にとどまっている。その彼のピアノ協奏曲にはショパン、チャイコフスキーをはじめ、メンデルスゾーンを想起させる旋律線、リストを思わせるヴィルトゥオーゾ風のピアノ書法など、多くの先人の影響が垣間見える。曲は出版後まもなくサンクトペテルブルクモスクワで評判となり、若きホロヴィッツも愛好していた。しかし、やがて曲の軽妙さが外面的であるとの批判につながり、2流の作品という評価に甘んじることになる〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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